<訃報>白川静さん96歳=漢字研究の第一人者、中国文学者

以下,Yahoo!Newsからの転記です.

 漢字の成り立ちを明らかにした辞書「字統」などを著した漢字研究の第一人者で中国文学者の白川静(しらかわ・しずか)立命館大名誉教授が、先月30日午前 3時45分、多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。96歳だった。葬儀は1日、近親者のみで行われた。自宅は公表されていない。後日「お別れの 会」が開かれる予定だが、日時等は未定。

 福井市生まれ。苦学して立命館大の夜間部に通い、在学中に文部省の教員検定試験に 合格して、立命館中学の教諭をしながら43年に法文学部漢文学科を卒業した。同年、立命館大予科教授、54年から教授、81年名誉教授。97年、文字文化 研究所(京都市)の所長・理事長に就任し、05年から同研究所最高顧問を務めていた。

 10代のころ、大阪で代議士の秘書を しながら古事記、日本書紀、万葉集などの世界に親しみ、日本の古代王朝の成立過程に関心を持った。古代の日本に影響を与えた中国古代史に進み、中国最古の 字書「説文解字」や甲骨文、金文の研究に没頭。84年、研究の成果を盛り込んだ「字統」を刊行し、毎日出版文化賞特別賞を受けた。

 87年に「字訓」、96年には漢和辞典「字通」を出版、「字書三部作」を完成させた。「字統」「字訓」の出版で91年に菊池寛賞を受賞、三部作で97年朝日賞を受賞。98年文化功労者、04年に文化勲章を受章した。他に「孔子伝」(72年)など著書多数。

◇スケールが違った

 哲学者、梅原猛さんの話 一つ一つの漢字に対する深い愛情と思弁で、字面からは分からない奥に隠れている精神的な世界にまで踏み込み、なぜ漢字が生まれた かを教えてくれた。儒教が生まれて以降の合理的な中国のはるか前の、神秘的な中国を、漢字を科学的に実証的に研究することで明らかにした、まったくスケー ルの違う学者だった。

 人柄は、曲がったことが大嫌いで、質素で、奥さんが大好きで、孤立無援でも悠然としており、恩義を人一倍感じる人だった。

◇一徹な姿勢変えず

 一海(いっかい)知義・神戸大名誉教授(中国文学)の話 遠くから高い山を見上げるような存在だった。私学での研究はともすれば、官学の権威に屈すること がないとはいえない時代だった。そんな中で、白川先生は自らの研究を一筋に貫かれた。その一徹な姿勢を変えることがなかったのは、長年積み上げた自らの学 問、研究へのひそやかな自信だったのではないか。その意味で、日本の学者には珍しい人で尊敬すべき方だった。

◇評伝

 「逆風に向かって飛べ」。まだ白川さんが社会的な評価を受ける前、建て売りの小さな自宅に伺ったとき、さりげなくもらした。

 苦学して夜間の大学に通い、中学教諭を務めながら卒業。誰にも教わらず、甲骨文など中国最古の文字資料に取り組んだ。大学紛争の最中でも研究室は深夜まで明かりがともっていた。ひたすら古典を読み、文字を論じたが、保守派だとみられ、逆風の中で羽ばたいてきたのだと。

 88歳で文化功労者に選ばれ、94歳で文化勲章を受章した。表彰理由のひとつ「独力で完成した」について、「好きなことを、自らの方法でやってきただけ」 「学問は、借り物ではできません。どなたでも独学になるはず」と語った。在野のような立場から、権威に対しても真摯(しんし)に挑んできただけに、「私の ような者でも、年金がいただけるとは。ありがたい」とも。

 少年のころ、東洋という語に心をひかれた。日本の古代を知ろうと万葉集に取り組むが、もっと東アジア的な視点が必要だ、中国の古い時代を知らなければと考えた。甲骨文や金文の勉強にかかり、古代の文字との長い縁が続いた。

 漢字の成り立ちを明らかにした「字統」、漢字を日本人がどう読んできたかの「字訓」、独自な漢和辞典「字通」。世評に高い字書三部作は、13年余りかけ、80代半ばに完成した。「命なりけり」の感慨という。

 しかし、文字の学問をやる人には「僕の一般書でヒントを得るだけでなく、僕の歩いた道から出発してほしい」と、基礎資料を残すため最晩年まで奮闘した。

 漢字の使用制限など、戦後の国語政策を批判。漢字がこれほどひどい仕打ちを受けたことはなく、その結果、国語軽視の風潮が生じたという。

 漢字の習得が難しいというが、「文化というのは、努力し、困難に打ち勝ってこそ、生まれてくる」と。笑顔で「ほんと、漢字は難しくないのよ。体系的なものですから、それが分かれば、何の苦労もいらない」とも。

 漢字の成り立ちをもとに東洋の精神を古代に求め、文字文化に生涯をささげた碩学(せきがく)だった。【元毎日新聞専門編集委員、総合地球環境学研究所教授・斎藤清明】

(毎日新聞) - 11月2日1時57分更新

0 コメント: